柔道の創設者である、嘉納治五郎氏の「没後80年式典・偲ぶ会」が4月28日行われました。
その式典で、全日本柔道連盟のオフィシャルパートナーである東建コーポレーションから特別制作を依頼された日本刀(刀、脇差、短刀など6振り)が、総本山の講道館に献納されました。
今回寄贈された日本刀は、刀工の最高位である「無鑑査」の称号を持つ上林恒平氏によって作られたものです。
ではなぜ、素手で行う武道である柔道、その総本山の講道館に、素手ではない、武器の象徴である刀が献納されることになったのでしょうか。
柔道の起源である柔術、その始まりは剣術
柔道は、日本の古武術のひとつである、柔術をもとに発展した武道です。
その柔術のはじまりは戦国時代にまでさかのぼります。
当時の戦いの形は集団で戦うものであり、武器として主に槍を使用していました。
しかし、合戦が進むうちに槍の穂先が折れてしまったりすると、最後は接近戦となります。
槍を捨て、身につけていた刀を抜いて、一対一で戦うことになります。
その際に、その刀まを失ったら、素手で戦うしかありません。
そこで、戦いに負けないために、刀を持った相手の剣術を封じることを目的として柔術が発展していったのです。
ですから、剣術と柔術は表裏一体の関係といえます。
柔術から柔道へ
明治の時代になり、嘉納治五郎氏は、様々な柔術の流派を極めて研究したすえに、独自の柔道を創設しました。
そもそも、柔道は戦うことを目的とするのではなく、心身の鍛錬を通じて精神の修養につとめること、その結果として人格の完成をなし、社会に貢献することが目的なのだそうです。
その目的を教える場所が「講道館」です。
講道館柔道が創設された頃は、まだまだ柔術が主流となっており、講道館柔道も新興勢力のひとつにすぎませんでした。
しかし、柔道が警視庁に採用され、全国の旧制中学の必修科目として学校教育に取り入れられたことで、次第に全国に広まっていきました。
そして、日本の武道の象徴たる地位を獲得するまでになりました。
柔術をもとにして生まれた柔道は、やはり、剣術と表裏一体の関係といえるのです。
まとめ
素手で行う柔道の創始者である、嘉納治五郎氏の没後80年式典に武器の象徴である刀を献納することは、一見すると不思議に思われました。
ですが、以上のような歴史的な背景を探ってみると、剣術あっての柔術、柔道なのだということがわかりました。
剣術と柔術、柔道は切っても切れない関係だったのですね。