元プロ野球選手で、野球解説者の衣笠祥雄さんが、2018年4月23日に大腸がんでお亡くなりになりました。
御年71歳でした。
いつも穏やかな笑顔が印象的な方でしたが、それに似合わず、「鉄人」と呼ばれていました。
それはどのような理由からなのでしょうか。
鉄人と呼ばれた理由
背番号28
衣笠さんは、1964年に広島カープに入団し、1968年から一軍のレギュラーとして活躍しました。
その時の背番号が”28”であったことから、マンガの『鉄人28号』(横山光輝作)にちなんで、「鉄人」の愛称で親しまれたのが、そのはじまりでもあります。
その後、1975年からは背番号3をつけましたが、カープは彼の活躍をたたえ、背番号3を永久欠番としています。
タフな体
もともと野球選手としては小さい方ではありましたが、体はとても頑丈だったそうです。
骨折しても出場
1979年8月1日に対巨人戦でデットボールをを受け、左の肩甲骨を骨折してしまいました。
全治2週間と診断され、連続試合出場記録が1122試合で止まってしまうかもしれないという危機が訪れました。
しかし、翌日2日の試合には代打として出場し、江川卓選手の投球にフルスイングで立ち向かい、三球三振をしたのです。
さらに翌日3日の試合では、スターティングメンバーとして試合開始から三塁手として出場しました。
骨折しているのに驚きですね。
続く記録
1980年8月2日に、日本プロ野球記録として、1247試合連続出場が達成されました。
そして、1987年6月11日にメジャーリーグの保持する世界記録を抜いて、2131試合連続出場を達成しました。
この記録は、現役を引退することになり、最終試合となった1987年10月22日まで続き、2215試合連続出場をもって終わりとなりました。
実に17年もの間、1回も休むことなく野球の試合に出場し続けたのです。
これを成し遂げるには、運だけでなく、不断の努力が必要ですね。
他にも、打点王・盗塁王・最多安打のタイトルを各1回づつ獲得しています。
1996年には野球殿堂入りもしています。
その功績をたたえ、1987年に国民栄誉賞も受賞しています。
まとめ
71歳という年齢はまだ若く、野球界、その他各界からその死を惜しむ声が上がっています。
衣笠さんは、亡くなる日の4日前(4月19日)まで、野球解説者として仕事をしていました。
まさに、最後まで「鉄人」だったのかもしれません。
ご冥福をお祈り申し上げます。